雪端為成の書斎

足りないのは小手先の描写力ではない、現実をも超える想像力。
Sound Horizon『天使の彫像』より
I write my first draft with my heart. THEN, I rewrite with my head.
映画『小説家を見つけたら』より

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獣人とはなんなのかの考察

最近舵天照でも、獣人族のキャラを見かけるようになりました。
そこで、ふと最近想ったことをつらつらと。
多少きわどい話にも触れるかもしれませんので、ご注意を。

舵天照に登場する獣人は「獣の人」でありますが、あくまで一部分だけにその特質が現れます。
こうした動物耳やら羽付き、しっぽ付きというのは、日本ではよくあるキャラですよね。
キャラ付けをしやすくなるでしょうし、特徴を盛り込むことでロールプレイも容易でしょう。

こうした一部だけ動物というキャラのベースはどこなのか?
自分が思うに、昔話に登場する「動物が化けた人間」がそのベースなのではないでしょうか。
化け猫は尻尾と猫目。狸は尻尾、狐は化け損なうと髭と尻尾が露見する。
日本が寛容なのは、こうした存在との古くからのつきあいがあるからかもしれません。

ですが、一方海外では。
といってもアメリカの、それもコアな趣味に関わる話になりますが。
いわゆる動物萌えというものが存在するらしいのですが、それは多少日本とは違います。
動物化した人間というのでしょうか。頭は完全にその動物というキャラが数多く存在します。
そこでふと思ったこと。
日本でも、こうした動物キャラはそれなりには登場しますが、
この分野はどうも西洋の方が強いように思うのです。

日本だと‥‥キャラクターが犬の名探偵ホームズあたりが有名でしょうか?
ちなみに、キャラが犬になった理由はイタリア側からの要請だとか。
海外だと、バッグスバニーとかもその一種に入るでしょうし
そもそも、しゃべる二足歩行の動物という意味ではディズニーキャラもその仲間でしょう。

では、ここで前提。
日本では、全身獣的なキャラは受けないが、海外では受け入れられている、としましょう。
なにがその原因なのかを考えてみましょう。
もちろん、日本でも全身動物的なキャラが好きな層がいることは知っています。
ケモナーとか言うそうですね。
ですが、やっぱりメジャーどころでないような気がするので、考えないでいきましょう。

西洋諸国で、動物キャラが受ける理由。
それにはとある原因から派生する二つの側面があると思っています。
それはキリスト教文化圏にある、人間だけが生物の中で特殊であるという意識です。

欧米では、人間と動物はかなり距離の離れた存在であると考える風潮があるように思います。
人間だけが特別である。動物であるとも言えるが、人間はその中で唯一絶対のものである。
そうした意識があるとすれば、人間的動物キャラというものに込められた意味が見えてきます。

それは、キャラクターを人間から遠ざけると言うことです。
獣耳キャラとの差を考えてみて下さい。
獣耳程度のキャラクターであれば、人の一種として日本人は捕らえます。
あくまでも特殊な萌え要素のくっついた人間とみるわけですね。
海外の価値観では、動物キャラはそういう世界の住人であっても人間ではありません。
獣耳キャラは海外では、動物キャラの一種として見られているのかもしれませんね。

海外では、獣の着ぐるみフェチという不思議な趣味の集団がいるそうです。
こういうのも、獣化=人からの脱却 と考えると、妙に納得できるような気がします。
人間的な価値観からあえて逃れたいとおもう場合、受け皿としての動物化キャラが存在する。
それが人間のカリカチュアとして活かされているのがディズニーなど海外アニメで、
アンダーグラウンドの世界では、あえて人間社会の道徳観を破るために活用されている。

ふとそんな風に感じたのであります。

もうちょっとつめれば、面白いことが書けそうですが、とりあえずはメモ程度に。
ここらへんの海外のフェチは調べれば調べるほどディープなので
……ちょいと厳しいですな(笑)
では、今日はこのへんで。
  1. 2010/10/21(木) 00:00:00|
  2. 文章・考察
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経験値のお話

とってもゲームではなく、個人の経験の話。

文章を書く場合、全て自力でというのは不可能だと思います。
まず、語彙。
知らなければ、そもそも文章は書けません。
そして表現方法やら技巧やらも必要になるのでしょうが、
本人が知らないことを、上手に書くというのは難しいものです

しかし、別に戦国時代に生まれなくても、時代小説は書けますし
SFやファンタジーな経験は不可能です。
なので、なるべく多くの経験をすることで
似たようなことを学び、消化し文章として描くのです。
もちろん、他人の優れた文章を学び吸収するのも大事だと思います。

で、ここまで前置き。
最近、滅多に新しい経験をすることが減りました。
子供の頃は、そりゃもちろん新しい経験が多かったですし
たとえば海外旅行をしたり、なにか新しい環境に移ると
新しい経験をしたりすることも増えるでしょう。

ということで、いろいろと新しい経験をしたいと思うのです!

手始めは、食べたことのない料理を食べることがお手軽ですね♪
……ああ、また体重が増える。

ということで今日はこの辺で。
  1. 2010/02/09(火) 02:59:29|
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萌えってなぁに? 萌えってなんだろーぅ!

まず最初に言っておきますが、いまテレビとかの煽りもあって氾濫してる萌えなるものは
基本的に嫌いです。
萌えというものが一人歩きし、
萌え~! と騒いでる人を含めてのイメージが先行している気がします
大概、オタクっぽいなにかのキャラクターにきゃーきゃーいってる感じでしょうか
もしくは、年甲斐もなくアイドルや芸能人、アニメキャラなんかに惚れ込んでる様子とか

今回考える萌えは、ちょっと違うものです。
文章を書く以上、キャラクターを創造することは多々あります。
また、他人やPLが作り出したキャラクターを拝見する機会も多いのですが
記号化論でもよく言われるように、キャラクターは様々な要素に分解できると言えます。
特にこうしたライトなサブカルチャーでは
仲間同士の共有のために、わかりやすい類型化が進みます。
それは口調の特徴だったり、性格であったり、姿形、体型、過去、行動と多岐にわたるのです。
そうした個々に対する萌え、というのはある種のフェチズムだと私は考えています。
あるキャラクターをばらすと、さまざまな要素が存在するわけで
たとえば、スタイルの良い という要素は非常にわかりやすい記号です。
そして、そうしたキャラ全部が好きならば、それは巨乳フェチと言えるでしょう(ずばり

で、萌えとはなにか。
それはフェチズムをスタートとして、さらに複雑化した先にあるものだと考えます。
様々な要素、記号が複合した先に生じる感情こそが萌えであると私は提案します。
いまでこそ、ある種の嗜好やフェチに対して萌えという言葉も使いますが
最初はキャラクターへの愛情を表現する言葉であったように思います。

それは、キャラクターの要素に対してではなく
キャラクターが複合して併せ持つさまざまな記号的要素の集合体として
そのキャラクターが成立しているからこそ、
キャラクターへの愛情がわき起こるからだと思うのです。


おこがましいのですが、私が大好きな人物として
池波正太郎先生の鬼平シリーズに登場する、長谷川平蔵、つまり鬼平が居ます。
萌えというか、私はこのお方に心酔しているわけで。
ですが、それは鬼平の個々の要素に惚れ込んでいるからなのでしょうか?
否、鬼平という存在全体に対してその思いがあるわけです。
池波先生が史実を元に構成して作り上げた
鬼平という人物のさまざまな側面を合わせて惚れ込んだわけで

これこそが、萌えというものではと思うわけです。


だからこそ、人気のキャラクターの記号要素をコピーして
萌えを大量生産する昨今の風潮は嫌いです
キャラクターは、要素の寄せ集めではなく、たとえ様々な記号で分析できるとしても
そのキャラクターがキャラクターとして確立しているからこそ、愛情を感じるはずです。

そして、そこまでキャラクターを確固と作り上げることができるようにならねば
読者からの本当の愛情を得ることは出来ないとも考えるわけです。

なので、本当に愛されるキャラクターと ただ媚びをうってるキャラクターは違う! と
力説したかったわけで
さらに言えば、私は未だにそうしたキャラクターを作るのが下手なのです。
ますます精進しないと行けないですね。

ということで今日はこの辺で。
  1. 2010/02/07(日) 23:59:59|
  2. 文章・考察
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なんでゲームをするのかと真面目に考えてみた

ふと、夜中に目の前にあるXBOX360を眺めていて考えたこと。
それは、なんでゲームをするのだろうか、ということでした。

ゲームとは疑似体験。
自分のしたいことを擬似的に体験するためのツール。
それも一つの側面であるとおもいます。
スポーツ系のゲームなんかはそうですし
最近はまってたForza3なんかは、そうした疑似体験のゲームでしょう。
とてもじゃないけど買うことの出来ない車に乗ってがんがんレースを走る。
そうすることで、スーパーカーに乗りたい欲求を満たす、といえるでしょう。

ゲームとは知的なパズル。
パズルを、唯一解が存在する問題のことであると定義した上でですが。
RPGやシミュレーションゲームを始め、様々なパズル要素が楽しい、それも一つの側面です。
何らかの問題を提示されて、それをクリアしたときの快感。
それを得るためにゲームをするというのも一つの楽しみですよね。
それは、名の通りパズルゲームにも当てはまりますし
アクションゲームでの操作の上達に伴う問題解決や、RPGでの戦略なんかも知的パズルといえるでしょう。

そして、ゲームとは物語。
ストーリーが存在するゲームでは、その物語自体を楽しむのは当たり前のことです。
もちろんストーリーでも様々で
RPGの英雄物語から、ホラーゲームの恐怖怪談まであるでしょう。
そうした物語の旨さというのも楽しみの一つと言えます。


私は、ゲームとはこの三つの次元で大体楽しさのバロメーターが決まってるのではと思います。
なおキャラクターという重要な要素や、世界観なんかは物語というくくりに入れてください。

疑似体験という次元では、リアルさというのが一つの要素でしょう。
現実を模倣するタイプのゲームならば、どれだけ現実に近く作り込み
しかも、平等に誰でも楽しめるようにと、ゲーム機という共通のツールに適合させるか
そのバランスを調節するわけです
また、たとえばファンタジーやSFなどでは、どれだけ存在しない世界をリアルにするか
リアルさを追求しつつ、ゲーム機という共通のフォーマットに落とし込むために
どこでリアルさを削り、どのリアルさを残すのか。
プレイアビリティの追求と、同時に行うバランスこそがこの次元の命でしょう。

問題解決のパズルという次元では、単なるパズルや謎解きだけにはとどまりません。
問題解決のカタルシスというのがここでの重要な要素です。
難しすぎればプレイヤーはさじを投げ、簡単すぎれば解決の快感は得られない。
老若男女で千差万別のプレイヤーを前に、そのバランスを取る必要があるのでしょう。
謎解きだけでなく、RPGならレベル調整
格闘ゲームならAIなど、問題解決のパズルでも、やはりバランスが命となるのでしょう。

そして、最後のストーリー。
こればっかりは、全て作った人間の魂に関わってくると思います。
一つ、私が思うのは、ゲームはなぜ日本からこれだけ世界中に広がったか、という点についてで。
それは、日本人だけが、ゲームに魂を込めたからではないかと思っています。
先の二つの要素、リアルさとパズル。
この辺りは、海外のゲームが先に切り開いていたような気がします。
TRPGの始まりもそうですが、リアルなファンタジー世界を模倣するために
どこまでリアルさを追求し、どこからルールでフォローするシステムとして簡易化するか
そしてルールを設けることで、問題解決=シナリオのクリアとレベルアップ という決着を用意する
しかし、その物語の部分はプレイヤーに委ねられていたのです。
個々の遊び手が、それぞれ自分の魂に合わせて、ゲームを遊ぶ。
私が思うに、いかにもアメリカや西洋的なのでは、と思うところです。


ですが、日本人は、そこで、ゲームを遊ぶ相手に向けて
こうやって楽しむものですと、共有するためのストーリーを大きく盛り込んで行きます
最初の頃のゲーム機は、性能的な制限があるためリアルさでの追求はかなり限定されます
問題解決の快感と、そしてどれだけプレイする人間を引き込むかという物語に
日本のゲームメーカーたちは、心を傾けたのではないでしょうか

今では、ゲームに物語りが付属しているのは当たり前となりましたし
そこで、やっと本題(ぉぃ

WTRPGは、様々な意味で、特殊なゲームであると言えるでしょう
疑似体験の次元は、DTSでいうならシステムと天儀という世界がそれでしょう。
ファンタジー世界を疑似体験する装置として、このルールと世界が与えられています。
問題解決の次元は、MSという存在が居ます。
シナリオによって、プレイヤーたちが悩む問題を出して
それを解決することでプレイヤーは達成感をえるわけです。

では、物語の次元は?
そこがWTRPGの特殊なところです。
プレイヤーがMSとともに作っていく必要があるのです。
TRPG的なゲームは、最初から個人で遊ぶためのものであり、閉じた世界でありました。
その仲間内では、ともに作り上げた物語が存在したのでしょうが、あくまで閉じたもので。
それが、このWTRPGでは開けた物語となるのです。

そこが難しく、そして最も楽しいところだと言えるかも知れません。
キャラクターを作るとき、そこにプレイヤーは魂を込めます。
キャラクター1人1人に物語をこめ、命を吹き込もうとするのです。
最近のゲームやMMORPGでは、キャラグラフィックをえらべたりと
キャラクターメイキングにおいて柔軟性を取りますが
しかし、TRPGやWTRPGの柔軟性には、まだまだ到底適いません。

MSが魂を込めて作り上げる物語と
PLが魂を込めて作り上げた物語が、合わさってWTRPGの世界を作る。
その世界は、ゲームに参加する全ての人間と共有され
さらにはゲームの世界も変化し進んでいく……

WTRPGは文章を媒体にしていることや、TPRGが源流にあるということで
非常に古くさいものを感じる人もいるかもしれませんが、実は
ネットワークの発達したこの時代だからこそ、成立しうるゲームであり
メールゲームや読者参加型の企画など、様々な世代、媒体において
生きた世界を作りたいと願った先人たちの望みに、もっとも近いのがこのWTRPGなのでは
と、おもったりしたのです。


……えっらい長文になったなぁと思いつつ。
ちぃ、これを数日に分けて書けば、ブログの記事に困らなかったのに。
ということで、今日はこの辺で。
  1. 2010/02/06(土) 23:59:59|
  2. 文章・考察
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悪党について

悪党、というか悪。
文章創作においては、とても重要な要素です。
WTでは、シナリオごとにPCの敵となる悪が登場しますが、この悪に魅力があるかどうか、これは重要ですよね。
悪、と一言で言ってもさまざまなタイプが存在するように思います。
たとえば反吐が出るような悪。
水滸伝や三國志などでは、数名思い当たる節がある腐った性根の持ち主というタイプの悪ですな。
歴史戦記や、政治闘争ものなんかだと良く登場するような気がします。
他には、その存在が悪なのではなく、あくまでも対抗勢力としての悪。
銀河英雄伝説で、主人公ヤン・ウェンリーが籍を置く自由惑星同盟にたいして、敵として描かれる銀河帝国が例として挙げられますね。
あくまでもライバル、戦国時代の作品では、対抗勢力として魅力のある敵が登場しますが、それもこのタイプでしょうね。

さて、最近興味があるのは、狂気を帯びた悪、というものです。
自分の場合、WTのシナリオにおいては、敵というと単純なモンスターか、せいぜい悪巧みする悪党として落ち着いてしまいます。
魅力ある悪、敵としても存在感のある悪なんかも努力しているのですけどね。
そこら辺はおいおい期待してもらうとして。
新たなパターンとしては、理解不能な悪、というパターンです。
クトゥルー神話の悪というか狂気というか。
完全に人知を凌駕し、絶対的な敵としての存在、とでも言うのでしょうか。
そういう存在を堂々と描けるようになると、それは創作活動の新たな地平が見えるのかもしれません。
バットマン・ビギンズに続く第二作、ダークナイトに登場するジョーカーも、そういうタイプかもしれませんね。
禍々しく存在感溢れる悪、という印象なのですが、果たしてどうなっているのか。
映画が楽しみなところです。
予断ですが、このジョーカー。最近急逝してしまったヒースレジャーという好きな俳優によるものだったので、楽しみもひとしお。

ということで、実は朝方になりかけの時間に書いているこの日記。
今日はこんなところで。
  1. 2008/05/17(土) 23:59:59|
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プロフィール

雪端為成

Author:雪端為成
名前;せっぱ ためなり
性別:男
属性:混沌にして善
主食:すあま

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